3月11日、あの時僕は。 - paoの妄想スタイル館

2011年03月29日

3月11日、あの時僕は。


 今の仕事場に移り、そろそろ一ヶ月程になります。3月11日のあの時間もここにいました。
 
 東京都千代田区1-1-1 皇居のお堀の隣にある建築現場です。

あの地震のときに天井が崩れて2人の方が亡くなられた九段会館もすぐ近くです。
 
 あの時僕はまだ壁も出来ていない建て替え中のパレスホテルの14階にいました。

なんとなく揺れているかな?と気付いた時には「昨日のお酒はぬけてる時間だしな。」程度でしたが、誰か

「地震か?」と呟いた後から揺れが激しくなり、ものの5.6秒でしょうか?

壁のない14階から外に放り出されるかと思うほどの横揺れに変わりました。

  こんな揺れでは上階屋上で鉄骨やPC壁を吊るしているクレーンが倒れてもおかしくない!!

耐震強度を考えて設計されているとしてもそれは完成してからの話、ボルトを締めている途中の鉄骨や

組み立てている最中の足場に適用できるはずありません。
 
 「やべええええっ!!」14階にいた十数人がいっせいに階段を駆け下りて行きました。

 現場にいた全ての作業員数百人が近くの公園に避難したところで震源地が東北であることを知りました。誰かが
 

 「こりゃ歴史に残る地震だ。」と言いましたが、この時にはその意味がまだよくわかってはいませんでした。
 
 現在進行中の災害であり事故であります。
 
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110328/dst11032815150036-n1.htm

    http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/fukushima_nuclear_plant/?1301321620
 

 僕には石原さんの「天罰」発言が蚊帳の外からの無責任な無神経な発言とは思えないのです。

ここまで離れていれば東京は安全だろう。と福島に作られた原発から漏れ出た放射性物質が東京をゆうに

超えて神奈川にまで飛んでいきました。

 この先東北はおろか関東一円まで含めて立ち入り禁止になるのではないか?

西や南に親戚を持たない僕はスーパーアリーナに避難されている方々と同じ立場になる覚悟も半ばしています。

いまだに放射性物質は漏れ続けています。
 
 都会のほうが電気使うんだからわざわざ反対している地域に作らずにもっと近くに作ればいいのに
と考えていた方、居られますでしょうか

 都会は地価が高いから地価の安い田舎に作っているんだと考えていた方、居られますでしょうか。
 

  でも原発の問題が選挙の争点になることはありませんでした。


 一番僕たちにお金をくれるのはどの政党か?で選んできました。

  「罪は自分にある。」という懺悔の言葉が「天罰」発言じゃなかったのかな、憶測です。
 

  安全を売ってでも子供手当てが欲しかったんです。200年に一度来るか来ないかわからない地震なんて

どうでもよかったんです。
 

 義援募金に参加すれば亡くなられた方々へのせめてもの罪滅ぼしになるでしょうか?

 小さな勇者だなんて気持ちにはなれません。  


   http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110323/dst11032316590039-n1.htm  


   http://blogs.yahoo.co.jp/paosistemm/19302036.html  
 

























  







 南無妙法蓮華経





posted by paosistemm at 00:26| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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